アラサーゲイの徒然なるままに、日常

表題の件ですが、アラウンドサーティーど真ん中の普通のゲイが、人生にスパイスをと思って始めたブログにございます。何卒、ご査収くださいませ。

どん底も もがけば なんとやら

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Photo by Patrick Hendry on Unsplash


さてさて、前回の更新から盛大にブランクがありました。

す、すみません。

新型コロナウィルスによる緊急事態宣言も、

一部地域では緩和が実施され始めました。

と、言えども以前の暮らしはすぐには取り戻せませんし、

ここからは辛抱強くいかなければならないですね。

 

今回のタイトル、三つ目の記事にして早速「どん底」なのですが。

今回は、僕が学生時代に実際に経験した「いじめ」のお話をしたいなと。

まぁ、ブログのタイトル通り、僕はゲイでいわゆる性的少数者という分類なのですが、

今まで学生生活、社会人生活を通して、

自分自身のセクシュアリティーをカミングアウトしたことはありません。

まぁ、ずっと秘めていた訳ですが、

いかんせん恋心を隠し切れないタチだったもので(ポジション的にはウケです。聞いてないですね。すみません。)

気になっていた男子に、「好き」だという態度がいつしか露呈していたようで、

高校1年生の頃、いつしか周囲の男子からは「ぶりっこ」だと噂されるようになりました。

ぶりっこっつっても、さとう珠緒センパイのようなあからさまなものではなかったと思いますよ。自負です。

しかしまぁ、その噂はいつしか、当時気になっていた生徒本人の耳にも入り、

ある日突然、目の前で「お前の携帯番号消すけんな!」と気になっていた男子生徒に告げられ、

帰りのホームルーム、目の前で番号を消されることに・・・。

その瞬間、視界が徐々に歪み、自分だけがその景色の中後退していくような

そんな感覚をもったように記憶しています。

 

その前にも、オカマとからかわれたこともありますが、

周囲から噂され、人々の自分に向ける目が明かにほんの数日前とは変化し、

そして目の前で繋がりを絶たれるということは、

本当にショックでしたねー。

 

帰宅後、両親に学校を辞めたいとだけ告げ、

その次の日から私は、登校拒否をしてしまいました。

親は当然反対。理由もわからないですし。

恐らく、親が中学校の担任に相談の連絡をしたのかわかりません、

登校拒否の二日目、中学校時代の元担任から連絡があり

かつての学び舎に足を運ぶことになりました。

 

真っ赤なスポーツカーに乗っていつも通勤する、ロングヘア-の女性英語教師。

教員陣の中でもややポップで、たまに厳しくて、天然、なにより生徒への愛情にあふれる先生。

そんな先生に涙ながらに「高校をやめようと思う」と相談すると、

先生も涙ながらに、ちょっとややムキに「そんなに辛いなら無理していくことはない、自分らしくいるための選択肢はたくさんあるから」と背中を押してくれたのを覚えています。

定時制高校への転入もできるなどの具体的な次へのステップや、

中学校在学当時の楽しかった記憶、

イベントなどでは率先して実行委員側に立つような生徒でしたから、

その当時のいろんな話をしてくれて、

なんとか「らしさ」を取り戻せたような、そんな時間でした。

 

― あとは、親を説得するだけ。

帰宅した父に相談しようとすると真っ先に父から

「お前、明日から一年生が終わるまで、チャリンコで通学すれ。

そしたら辞めさせたる。」

「へ?」

父お得意の、これをしたいならその代わりこれをしろってやつが

このタイミングで、しかも謎の条件で繰り出されるとは思いもせず、

咄嗟に自分も「お、おう(辞めれるんかい)」ってなって

そのまま某ホームセンターへママチャリを購入しに行くことになりました。

そして、次の日から1学年が終わるまでの半年間は自転車通学。

父のグッドかわからんですが、そんな提案のお陰か登校拒否は2日間で終わりました。

登校する恐怖はもちろんありましたが、

これが唯一、この嫌な環境から抜け出すための術ならば!(いやそんなことはない)と

自分も半ばムキになりながら登下校した記憶があります。

 

市をまたいで、電車で通学する距離でしたので、

おそらく1時間ほどかかっていたのではないかな。

雨の日以外は、毎日、自転車通学をしていました。

(その当時の運動のお陰か、今では

「いい脚してるね」と夜の営みの前は褒められます。

ヒップも好きってよく言われます。

聞いてませんよね、すみません。。)

 

その時は学校を辞めるという、今考えるとよくわからない目標の為に必死でしたね。

友達も案の定いませんし、いないというか、あの一件以降、

こちらから願い下げというスタンスで、誰も寄せ付けず、勉強にとことん向き合いました。

もちろん当時は辛かった。

何をするにも、人目を避けたい、非難の的にはなりたくないという気持ち。

 

でも自ら「こんな風に苦しんでいるんだけど、助けてくれないかな?」

と信頼できる人たちに打ち明けられた自分がいたこと、

それを支えてくれた両親・中学の友人、そして恩師がいたからこそ、今の自分がいるとも思えています。

時に人から酷く突き落とされますが、

結局転んだ自分を救ってくれるのも人なんだなって

その当時、チャリンコ通学しながら、ふいに腑に落ちた瞬間がありました。

結局、高校中退することはありませんでした。

そうやって一人でがむしゃらにやってるうちに、

近くによって来てくれる人が、また高校でも現れてくれました。

その人たちにも本当に感謝です。

 

いま、苦しい状況下にいる学生さん、

職場で困難に直面している人、

家庭でおびえている方々、

いろんな状況の人がいると思うし、

先に述べた私の経験なんて蚊に噛まれるくらいで、もっともっと

恐ろしい経験の渦中の人もきっといると思います。

どうか救われたいという強い気持ちは忘れずに、

ぐるぐる渦巻く恐怖の思考から抜け出すための具体策を探す・助けを求めるアクションを諦めずに続けて欲しいなと思います。

きっと好転の機会はあるはず。

 

僕はいまもそう信じて生きていますよ。

一緒に生きましょう。

 

拙い文章ですが、今回もご一読頂きありがとうございました。

 

The photo you can see on this blog is by Patrick Hendry on Unsplash.

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